松戸市
航路ではなく「道路」、全国に残る渡し船のナゾ 船を「呼び出す」独特の作法も
観光用とは異なる「道路」としての渡し船
かつて日本にはあちこちに渡し船がありましたが、交通が発達し、橋が架けられていくと、しだいに姿を消していきました。比較的近年まで残っていた渡し船も、その多くは並行区間に橋が架けられたことでその役目を終えて廃止されていますが、いまなお現役の渡し船も各地に存在します。
現在残っている渡し船は、民間が運営するものと自治体が運営するものに大別されます。後者の多くは無料で利用でき、「航路」ではなく都道府県道や市町村道といった「道路」の一部として運航されているのです。
渡し船が残っている場所は、昔から両岸を移動するニーズが高いものの、近くに橋がなく、陸路で移動するには迂回を強いられるケースが多いです。クルマであれば多少の迂回でも難を感じませんが、徒歩や自転車では時間がかかります。
にもかかわらず橋を架ける計画がなかったり、あるいは計画があるだけで具体化していない場合、渡し船が橋の役割を担う「道路」として扱われるのです。そのような渡し船が基本的に無料で利用できるのも、「道路」として歩行者や自転車の移動を確保する、という側面があるからだといえます。
それに対し、たとえば江戸川を渡る「矢切の渡し」(東京都葛飾区~千葉県松戸市)も渡し船ですが、こちらは観光用という側面が強く、大人200円の乗船料が必要です。自治体が運営する道路としての渡し船とはまったく異なる性格といえます。
愛媛県松山市の「三津の渡し」、三津側の乗り場(石川大輔撮影)。
市営の小さな渡し船は観光資源に 県境越えの例も
現在も残っている「道路」としての渡し船、その実態はどのようなものでしょうか。愛媛県松山市の「三津の渡し」と、埼玉・群馬県境にある「赤岩渡船」を例に見てみましょう。
「三津の渡し」は松山市の北部、伊予鉄道高浜線三津駅に近い港町の一角にあります。港の入り江を横切って、北側の港山と南側の三津を結ぶわずか80mほどの航路は、室町時代にあった港山城の物資や食料調達の手段として開かれたのが起源といわれます。現在は年中無休で運航され、年間約4万人が利用。松山市における観光スポットのひとつにもなっているようです。
この「三津の渡し」を管理・運営するのは松山市です。市道「高浜2号線」の一部として扱われており、運賃は無料。渡し船の別名「古深里の渡し」にちなんで「こぶかり丸」と名付けられた定員10名ほどの小さな船が、毎日7時から19時まで随時運航する形態をとっています。風情ある漁港の船溜まりと港町を眺めながら1分ほどで両岸を結びますが、歩けば入り江の奥まで大回りしなければなりません。
一方の「赤岩渡船」は、埼玉県熊谷市葛和田(くずわだ)と群馬県千代田町赤岩のあいだを流れる利根川を渡ります。こちらも、上杉謙信の文献にも登場するほど長い歴史を持った渡し船。日本最大規模の河川である利根川の本流には、かつて多くの渡し船があったのですが、交通手段や架橋技術の発達で姿を消した現代では希少な存在です。
現在の「赤岩渡船」は、群馬県の委託事業として千代田町が管理しています。主要地方道(県道)「熊谷・館林線」の一部とされており、近隣に橋がなく、架橋計画も具体化しないため現在まで存続してきました。こちらでは動力船の「千代田丸」「新千代田丸」で毎日おおむね8時30分から17時ごろまで運航され、運賃は無料。地域住民や観光客など、年間約2万人が利用しています。
いずれの渡し船も、運航時間帯が決まっていますが、年間利用者数から考えると、1日の利用者数は決して多くはありません。そのため、「お客さんがいるとき」に限っての運航とされており、船が対岸にある場合は、それぞれの方法で船を「呼び出す」必要があるのです。
対岸から旗を揚げて「呼び出す」独特の作法
渡し船は基本的に、両岸のいずれかに拠点があるので、乗船客がいない場合はその拠点に常駐しています。拠点側に船がある場合、運航する係員に声を掛ければ「道路の代わり」という名目上、たとえひとりでも船を出してもらえます。
しかし、対岸から利用する場合は、先述のとおり船を呼び出す必要があります。かつては対岸へ向かって大声で船を呼ぶという方法が取られていましたが、現在残っている渡し船では、そのような方式はとられていません。具体的には、「三津の渡し」の場合、港山側の乗り場には船を呼ぶためのボタンが設置されています。
「赤岩渡船」の場合は独特です。葛和田側の乗船場に近い河川敷に黄色い旗が付けられた掲揚台が設置されており、利用する場合は自分でその旗を揚げ、船が向かってくるのを確認したら旗を降ろして乗船場へ向かう、という手順となっています。船を自分で呼ぶ、という体験は、渡し船ならではといえるかもしれません。ちなみに、両岸の船着場の近くまでは路線バスでアクセスでき、バス~渡し船~バスという乗り継ぎも可能です。
埼玉、群馬および栃木南部には、「赤岩渡船」に代わる利根川の新橋を架けようとする動きも存在します。千代田町によると、この地域では渡船を中間点として前後10kmにわたり橋がないことから、架橋に対する住民の期待も高いものの、広い川幅がネックとなり実現していないといいます。
一方の「三津の渡し」をめぐっては、そのような計画はないとのこと。松山市の空港港湾課によると、渡船が結ぶのはたった80mの区間ですが、周辺は漁港であることから船の往来が多く、橋を架けるとそれを阻害してしまうのだそうです。
今回紹介した2か所以外にも、全国的にまだ渡し船が残っています。いまの時代まで残った事情は様々ありますが、それぞれ、「道路」の代わりとなる地域に欠かせない移動手段として、あるいは観光資源としても活躍しています。もし旅先で渡し船を目にする機会があったら、貴重な体験として利用してみるのもいいかもしれません。